CARP(カープ)の最新情報やコラムをアップします!
教育の機会均等を―南原繁

教育の機会均等を―南原繁

2017年12月24日

第6回:南原繁(1889-1974)

理想は一人の青年の夢想ではなく、また単なる抽象的観念でもなく、われわれの生活を貫いて、いかなる日常の行動にも必ず現実の力となって働くものである。

南原 繁(Shigeru Nanbara)

戦後の新制大学の発足

日本の大学が不可逆的な変貌を遂げたのは1949年、新制大学の発足までさかのぼります。

それまで独自に発展してきた帝国大学と私立大学は同じ総合大学となり、元文部大臣の天野貞祐が「日本教育における最も成功した教育制度」と賞賛した旧制高校は、国立大学の教養課程に組み込まれることになりました。また、地方の国立高等機関において「一県一大学」という原則が立てられたのも、新制大学の発足によるもので、日本の高等教育の風景が様変わりしたのは、まさにこのときからです。

戦後の教育改革はGHQの『押し付け』ではない?

従来の研究では、占領期の教育改革はGHQ(連合国総司令部)による「押し付け」と考えられてきましたが、近年、アメリカ側の資料の公開や、日本側の教育諮問機関「教育刷新委員会」の資料の発掘が進むにつれ、日本側の積極的な関与が明らかになってきたそうです。戦後日本の教育改革、とりわけ現在の大学制度に大きな役割を果たしたのが、戦後初の東京大学総長となった南原繁でした。南原は教育勅語に代わると言われる教育基本法の作成に尽力した一人で、教育刷新委員会では副委員長を務めました(同委員会の前身にあたる日本側教育家委員会では委員長)。

南原が目指した機会均等

戦後教育改革の中で大きな焦点になったのが、旧制高校の存続と教育期間の問題でした。同時代の多くの有識者が旧制高校の存続と複線的教育体制を主張したのに対し、南原は教育の機会均等を目指して旧制高校の廃止と単線的一元化(六・三・三制に大学の四年制を加えたもの)を主張。南原はGHQ幕僚部の一つであるCIE(民間情報教育局)との折衝に精力的に取り組み、戦後教育改革の中心的存在になったのでした。

真理を求め愛するための教養教育

そして南原の業績として忘れてはならないのが、新制大学における「教養教育(リベラルアーツ教育)」の導入です。南原は、専門科目の分断によって大学が危機に陥っていると指摘。学生時代に一生の支柱となる力の根源、人生の拠り所、真理を求め愛することができる学問的精神を身につけてもらいたいと願い、知識の統一を図る教養教育に力を入れました。

高い人間性を目指す

また、「共産主義との対決において、これを克服し得るものは、究極において、より高い人間性理想と精神であり、そしてそれを守り育てるものこそ、真の意味の教育である」とし、真なる人間性の完成、宗教的な精神革命によって、新日本文化の創造を目指したのでした。

高い理想を掲げた南原の教育改革でしたが、その後の学生運動に飲み込まれて頓挫するのでした。