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【佳作】大学のカルト対策と信教の自由


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佳作

大学のカルト対策と信教の自由

-岡山大学の事例を中心に―

N・Mさん

全文ダウンロードはこちらから(PDFファイル)→大学のカルト対策と信教の自由



1、はじめに

現在、大学ではさまざまなカルト対策が行われている。学内で正体を隠して、怪しく反社会的な行動を行う宗教集団があるとして、当該団体の実名を公表し、このような学内サークルを偽って勧誘を行う宗教団体に注意するようにというものだ。このような大学のカルト対策は、4月に学生生活における注意という位置づけで講義が行われたり、注意を喚起するビラを配布するかたちで行われている。

 一見すると、「それはもっともだ。」「そのような対策は学生を反社会的な団体から守るため、あって然るべきだ。」と感じたりもする。

 ところが、仮にその宗教団体が反社会的な行動を行っていなかった場合は、どうであろうか。それは、明らかに信教の自由を侵害しているといえる。

 そして、この問題を考えるにあたっては、いまひとつ考慮にいれなければならない事柄がある。それは、このような大学のカルト対策は、上記のような講義やビラ配布ではなく、学生に対して強制棄教・拉致監禁という過激かつ不当・違法と言わざるをえない事例までも存在するということである。(室生忠「日本の人権状況」(シリーズ⑫)『財界にっぽん』20113月号[財界にっぽん]44項)

 そこで、本稿はこのような大学のカルト対策の現状を踏まえ、岡山大学におけるカルト対策の事例を中心に、大学のカルト対策と信教の自由について考えていきたい。

今回採り上げるのは、岡山大学における事例なのであるが、その中でもビラ配布による事例を取り扱ってみようと思う。このようなビラ配布によるカルト対策は、学生に注意を喚起する上で、有効にしかも簡便になすことができる。しかし、仮にこのビラ配布によるカルト対策が信教の自由を侵しているなら、このような対策の拡大によって、重大な権利侵害に発展する可能性があり、今回この事例を採り上げることにした。

 

2、事実の概要と問題の概観

岡山大学はカルト対策の一環として2011年4月、新入生全員に、統一教会に注意するようにというビラを配布した。ビラをまとめた内容は次のようなものである。統一教会は、名前を伏せ、心の隙間に入り込む誘いの言葉をかけ、マインドコントロールを行って、霊感商法などの反社会的な活動をさせるところであり、学生生活・家庭・人生そのものが破壊されるとして警告している。そして、統一教会のダミーサークルとして、岡山大学の非公認サークルCARP(原理研究会)の名前を挙げ、CARPに入会しても同じように学生生活が破壊されるとして、注意を促すというものだ。(「岡山大学入学式」『岡山大学CARP(原理研究会)カルト対策の被害報告』7.29.2011更新http://okayamacarp.blog.fc2.com/category3-0.html (10.31.2011現在)

このような大学の行為に対して、CARPの学生たちは、ビラに記載された内容は事実と異なるもので、とても大きなショックを受けた。

そのため、CARPに所属する学生たちは、学生相談室に赴き、来年からはこのようなビラを配らないようにして欲しい旨を伝えたが、職員の返答は「大学の方針なので答えられない」というものだった。

 ここで問題となってくるのが、すでに述べている通り大学側のカルト対策が学生側の信教の自由の侵害にあたるのではないかということである。 

 信教の自由は、基本的人権・自由権の花形とされている。それは、近代市民革命や人権宣言の背後に、宗教的圧迫に対する抵抗や血にぬられた殉教の歴史があり、それが近代自由主義の成立に大きく寄与したからである。したがって、その歴史的な意味・重みは極めて大きい。(我が国においても、戦前は国家神道が優遇され、キリスト教や大本教などは弾圧されていた。)

 さて、その信教の自由は以下のようにわけられる。

1、信仰の自由

①    信仰告白の自由

②    信仰・不信仰によって不利益を受けない自由

③    親が自己の好む宗教を教育する自由

2、宗教的行為の自由

3、宗教的結社の自由

上記岡山大学の事例は、1-②と2の侵害にあたる可能性がある。

しかし、信教の自由はすべて無制限に保障されるものではなく、宗教的行為の自由は、国際人権規約(自由権規約)でも規定されている通り、「公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要な」一定の制約を受ける。但し、このような制約は「必要不可欠な目的を達成するための最小限度の手段」を用いての制約でなければならないとされる。

当然、今回の大学のカルト対策(ビラ配布)が信教の自由を侵害していると判断するにあたっては、当該対策がこの「必要不可欠な目的を達成するための最小限度の手段を用いての制約」といえるか否かということがポイントとなる。そこで、そのような内容を扱った我が国の裁判例を検討してみたい。

 

3、剣道実技拒否事件

この問題を考える上で、我が国で最も重要な判例は、剣道実技拒否事件であると思われる。

この事件は、神戸高等専門学校に在籍する「エホバの証人」の信仰を持つ生徒が、同校での体育の授業で実施される剣道実技の受講を、聖書の教えに従い拒否し、単位認定を受けられず、留年・退学処分を受けたものである。そして、これに対して生徒らが、レポートの提出など何らの代替措置を採ることなく、剣道実技の履修を義務づけることは信教の自由の侵害であるなどとして、処分の取り消しを求めた事件である。

最高裁(最判1996(平成8).3.8民集50巻3号496項)は、生徒らの剣道実技受講拒否の理由は、生徒らの「信仰の核心部分と密接に関連する真しなもの」で、学校側の処分は生徒らの「信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが」、生徒らが留年・退学処分による「重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である。」と述べた。そして、学校側が生徒・保護者らのレポート提出等の代替措置を採るよう求める要求に対して、代替措置を採ることが可能であったにも関わらず、何ら検討することなく処分を行ったのは、社会通念上著しく妥当を欠く処分であり、学校側の裁量権の範囲を超える違法なものであると判示した。

 また、控訴審である大阪高裁(大阪高判1994(平成6).12.22判時1524号8項)においては、信教の自由が外部に対して表され、他の者の権利や利益を侵す場合には、「信教の自由を制約することによって得られる公共的利益とそれによって失われる信仰者の利益について、それぞれの利益を法的に認めた目的、重要性、各利益が制限される程度等により、その軽重を比較考量して、信教の自由を制限することが適法であるか否かを決すべきである。」と述べ、その上で本件の場合に当てはめ、学校が剣道実技の代替措置を採らなかったことによる公共的な利益と生徒が剣道実技の受講を拒否したことにより生じた不利益との比較考量をすることとした。その結果、学校は代替措置を採ることが可能であったにも関わらず、これを採らず、比して、生徒らは信仰の核心部分にふれる重大な侵害を受けたのであり、学校側は代替措置を採るにおいて法的な障害を持たない限り、代替措置を講じるべきであったと示した。そして、学校側が代替措置を講じるにあたって、法的な障害はなかったと示し、もって、学校側が代替措置を採るべきであったにも関わらず、代替措置を採らなかったのは、学校側の裁量権を逸脱する違法なものであると結論づけた。

 学説は、これらの判決に対して、賛同する見方が多い。(芦部信喜[高橋和之補訂]「憲法第四版」[岩波書店]150項、土屋英雄「思想の自由と信教の自由 憲法解釈および判例法理」[尚学社]118項)ここで、信教の自由に対する制約は、必要不可欠な目的を達成するための最小限度の手段でなければならないという基準の下、簡単に判例について検討してみる。

まず判例では、学校側の処分について、生徒らの「信仰の核心部分と密接に関連する真しなもの」に対するもので、その処分は生徒らの「信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが」、生徒らが留年・退学処分による「重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である。」と述べ、学校側の処分は、原告に対して信教の自由を制約するものであったことを示した。

次に学校側の処分に必要不可欠な目的があったがどうかについて、学校側は剣道による教育目的の達成を主張したのであるが、最高裁は「体育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履修などの代替的方法によってこれを行うことも性質上可能というべきである。」と示し、剣道実技履修の強制には必要不可欠な目的を認めることはできず、また他の体育科目やレポートなどの代替措置を採ることについて制約はなく、もって、最小限度の手段とはならないと示している。芦部氏のいうように、確かに「必要不可欠な目的を達成するための最小限度の手段」の基準で妥当に判断されていると思われる。

 さて、このように判例・学説ともに判断基準として用いている「必要不可欠な目的を達成するための最小限度の手段」に照らし合わせて、今回の岡山大学のカルト対策を考えてみると、①大学のカルト対策(ビラ配布)は、信教の自由の制約となっているのか②カルト対策(ビラ配布)は必要不可欠な目的をもっているか③カルト対策(ビラ配布)はその目的を達成するための最小限度の手段なのかについて検討することとなる。

 

4、国立大学法人の公的性質

ところが、それ以前に検討しなければならないことがある。それは、剣道実技拒否事件と大学のカルト対策の案件では、異なる点があるということに因るものだ。剣道実技拒否事件においては、国と私人の争いであるが、本件は大学が平成16年に法人化したことに伴い、必ずしもそのようにはいえないということだ。判例においても、三菱樹脂事件(最大判1973(昭和48).12.12民集27巻11号1536項)で示されているように、憲法の人権規定が私人間では適用されないことがある。それは、私的自治の原則を尊重する理由からである。

 この点に関して、国立大学法人が国家賠償法における「公共団体」にあたるかどうかが、争われた判決がある。

 この事件の概要は、国立大学の大学院博士課程に在籍していた大学院生が、研究指導員から休学を強要されるなどのアカデミックハラスメントを受けたとして、損害賠償を求めたというものである。

 この事件の中で、名古屋高裁(名古屋高判2010(平成22).11.4)は、国立大学法人が国家賠償法における「公共団体」にあたり、その教職員による教育活動上の行為は「公権力の行使」に該当するといえると判示した。

 判決の根拠として上記判決では、

「我が国の学術研究・高等教育において重要な役割を果たしていること」

「国立大学法人制度の下でも国立大学の設置が、法定という形で国の意思によるものであること」

「国から必要な財政措置を受けることを前提に国による一定の関与があること」

「国立大学法人に対する国の財政上の責任が明確化されていること」

などを挙げており、その公的性質が示されている。よって本件においても、国立大学法人によるカルト対策は、国家行為によるものだと見ることができ、憲法の適用があると判断される。

なお、今回は岡山大学の事例にそって本稿を展開しているが、大学のカルト対策全体をみるとき、私立大学のそれも問題である。私立大学の場合、明らかに私人であるから、憲法の適用が認められない可能性もある。しかし、平野武氏によると、私人間においても支配・従属関係が存在する場合は、信教の自由の保障が認められるべきだとしており、憲法の適用可能性が排除されているわけではなく、検討が必要である。(平野武『宗教と法と裁判』[晃洋書房]74項)

 

5、事例における検討と結論

さて、以上のように、本件においては憲法の適用があると考えられるので、次に、具体的に岡山大学のカルト対策の事例を見てみる。そして、信教の自由に対する制約は、「必要不可欠な目的を達成するための最小限度の手段」でなければならないとする基準に当てはめてみる。すると、前述したように①大学のカルト対策(ビラ配布)は、信教の自由の制約となっているのか②カルト対策(ビラ配布)は必要不可欠な目的をもっているか③カルト対策(ビラ配布)はその目的を達成するための最小限度の手段なのかを検討することとなる。

 ①については、岡山大学の配布したビラにより、CARPの学生が大いにショックを受け、統一原理を自己の理念・信条として、勧誘活動等その他の活動を行うことを妨げたという点で、信教の自由を制約するものであったと考えられる。

 次に②についてである。ここは、カルト対策を行う大学側の主張を検討しながら考えてみる。まず大学側はカルトというものを、個人の自由と尊厳を侵害し、社会的に重大な弊害をもたらしている集団と考えている。(太刀掛俊之「カルト予防と学生支援―大阪大学の事例から―」『大学と学生』2011.9[独立行政法人・日本学生支援機構]56項)そして、カルト対策とはそのような集団から学生を守るための学生支援であると捉えている。これが、大学がカルト対策を行う目的である。確かに学生支援を行うことは重要なのだが、では、カルトか否かを判断する基準になる「個人の自由と尊厳を侵害し、社会的に重大な弊害をもたらしている」とは具体的にどのような状態をいうのだろうか。

北海道大学でカルト対策を行う桜井義秀教授によると、カルト視される団体では、正体を隠した勧誘が行われ、特定の教説を受け入れるか受け入れないかを判断するにあたって、十分な情報提供がされておらず、これは信仰しない自由を奪おうとしており、信教の自由を侵害しているという。さらにまた、それらの団体では、教説をそのまま受け入れることが信仰的とされ、大学で養うべき批判的精神、判断力、素養を学ぶ機会が奪われ、大学で教育を受ける権利を侵害しているとも主張する。(桜井義秀「カルト問題に見る公共性の意識」『消費者法ニュース』No.77,2008.10[消費者法ニュース発行会議]247項)

恵泉女学園大学の川島堅二教授は、カルトの特徴と問題点として、

①巧みな情報操作(マインドコントロール)

②階層的組織による整った教え込みプログラム

③性の管理

以上の3点を挙げている。(川島堅二「大学におけるカルト対策―現状と課題」『大学と学生』2011.9[独立行政法人・日本学生支援機構]31-35項)

大学はこれらのことを根拠に、「個人の自由と尊厳を侵害し、社会的に重大な弊害をもたらしている」と判断し、ある集団をカルトと定義しているようだ。

では、CARPはどうだろうか。まず両氏共通の指摘として、正体を隠した勧誘や情報操作があるが、これについて検討する。CARPは現在、CARPであることを名乗り、正体を隠した勧誘は行っていない。また、統一原理を学んで活動していることも公にされており、これには該当しない。

また、心理的な操作やマインドコントロールはその非科学性が指摘されている。ここでその内容を議論することはしないが、これを根拠にある団体が個人の自由と尊厳を侵害し、社会的に重大な弊害をもたらしていることを判断することはできない。

また、川島氏が指摘する性の管理は、統一原理の信仰の核心部分にふれるもので、公的機関である大学側がこれに良し悪しなどの価値判断を加えること、及びこれを根拠にカルト対策を行うのは、政教分離の規定に違反し、信教の自由を侵害しているといえる。

以上のように見ると、CARPは「個人の自由と尊厳を侵害し、社会的に重大な弊害をもたらしている」とは考えられず、大学の主張するカルトとは言えないのであって、したがって、CARPに対するカルト対策は、その目的を有していないといえる。

最後に、制約が最小限度の制約か否かの検討である。岡山大学が配布したビラは、CARPが統一教会のダミーサークルであり、まるで不法行為を行う団体であるかのように記載され、事実に基づかないものである。よって、岡山大学のカルト対策としてのビラ配布は、最小限度の制約とはいえない。

このように考えると、今回の事例につき、岡山大学によるビラの配布は、CARPに対して、信教の自由の制約を課しており、CARPは反社会的な団体と判断するはことできず、カルト対策の目的に教育支援という必要不可欠性は認められない。また制約においても最小限度の手段とはいえない。よって、岡山大学におけるビラ配布は、CARPに対する信教の自由の侵害ということができる。

 


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