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【優秀賞】大学当局によるカルト対策の違法性について


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優秀賞

大学当局によるカルト対策の違法性について

Y・Nさん(大阪大学)

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大学における特定の宗教的サークルに対する「弾圧」ないしその構成員に対する「強制的棄教」が、学生たちの安心安全なキャンパスライフの「確保」あるいはそのサークルにすでに属する学生の人生の「修正的擁護」の名のもとに許容されている昨今では、その非道なまでの扱いゆえに嘆く学生が少なからず存在する。これほど強力な手段を用いながら、実は悲劇的事態は水面下で進行し、その悲惨な実態の多くは知られていない。当の大学当局の弁明も大学運営の傷隠しのための応急処置にすぎず、責任の所在は密閉された組織のオブラートに包まれたままである。大学当局および「棄教牧師」、「全国カルト対策ネットワーク」等外部の連携機関の主張も憲法20 条違反の事実を拭い去れるものではなく、その釈明は論理的脆弱性を露わにしているのである。

そのような不当な「弾圧」態様として、学生の信奉する宗教を理由とする、大学職員による学生に対する不当なパワーハラスメント、アカデミックハラスメントもその例外ではない。パワーハラスメント、アカデミックハラスメント(以下、パワハラ、アカハラと表記)はその歴史がまだ浅く、判例の蓄積も不足しているため、その定義化が難しいという問題点を抱えている。まずアカハラについて定義は種々あるが、一般的に、

「教育や研究の場における権力を利用した嫌がらせi」を指し、それによって個人の正当な権利である研究・就学の機会が奪われること

をいい、パワハラについて厚生労働省「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ(WG)ii」が2012 年1 月30 日に発表した定義にしたがえば以下のようになる。(詳細には後で触れる。)

「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」

《具体的な6つの類型》
(1)身体的な攻撃(暴行・傷害)
(2)精神的な攻撃(脅迫・暴言等)
(3)人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)
(4)過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害)
(5)過小な要求(業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じる
ことや仕事を与えないこと)
(6)個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)。

しかし、厚生労働省もこの定義・類型は傾向を示したものに過ぎないとしており、あくまでその事案の複雑さ、煩雑さ、問題となる権利関係・当事者関係、権利侵害態様は多岐にわたり、事実上完全にその定義化を図ることはやはり困難であろう。

そこで、当該組織・当事者関係・当該職務に個別の具体的な範囲の画定が要求されるのである。

本稿では、まず、大学当局によるカルト対策に相通ずるとみられる代表的なパワハラ・アカハラに関する判例を挙げ、その共通点や判旨、争点となっている点を明らかにする。そのうえで現在大学で起きているカルト対策の諸形態を類型化し、態様ごとに考察、違法性を指摘する。そして、その違法性の根拠としてもっとも主要論点に掲げられるべき信教の自由の侵害の重大性を、信教の自由がどのような権利であるかなどを具体的に検証し、国立大学法人のあるべき形に触れつつ、カルト対策の違法性の立証をさらに確実なものとしていくことによって、大学当局のカルト対策施行の根拠がいかに脆弱なものであるかを明らかにしていくことを目標とする。そして最後に、カルト対策推進派のパワハラ・アカハラ正当化の理論的支柱となるであろう判例への反駁を試みたい。

1.パワーハラスメント・アカデミックハラスメントの判例考察

 パワハラ・アカハラは社会構造、産業構造等の変質、人々の人権意識の変革から近年特に取り沙汰されるようになった概念であるため、法律にその明文規定がない。そのため、どのように被害者を保護できるかが問題となる。

《パワハラ・アカハラの事例・判旨》
ⅰ関西電力事件(最三小判決H7.9.5)

勤務先Yの従業員であったXらが、Yが、Xらが特定の政党の党員又はその同調者であることのみを理由とし、その職制等を通じて、職場の内外でXらを継続的に監視したり、Xらと接触等をしないよう他の従業員に働きかけたり、Xらを尾行したり、ロッカー等を無断で開けて私物の写真撮影をしたといった行為は、不法行為にあたると主張して、Yに対し、慰謝料等の賠償等を請求した事案である。第一審は一部認容し、第二審は、第一審判決を支持したため、Yが上告した。結果、上告棄却。《判旨の概要》
Yは、Xらにおいて現実には企業秩序を破壊し混乱させるなどのおそれがあるとは認められないにもかかわらず、Xらが特定の政党の党員又はその同調者であることのみを理由とし、その職制等を通じて、職場の内外でXらを継続的に監視する態勢を採った上、Xらが極左分子であるとか、Yの経営方針に非協力的な者であるなどとその思想を非難して、Xらとの接触、交際をしないよう他の従業員に働きかけ、その過程の中で、X1及びX2については、退社後同人らを尾行したりし、特にX2 については、ロッカーを無断で開けて私物を写真に撮影したりしたというのである。そうであればこれらの行為は、Xらの職場における自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害するとともに、その名誉を毀損するものであり、また、X2 らに対する行為はそのプライバシーを侵害するものであって、同人らの人格的利益を侵害するものというべく、これら一連の行為がYの会社としての方針に基づいて行われたというのであるから、それらは、それぞれYの各Xらに対する不法行為を構成するものといわざるを得ない。原審の判断は、これらと同旨をいうものとして是認することができる。

この事例では特に個人の思想を理由に、その個人を周りの人間を動員して監視し、職制等も利用して人間関係の断絶も図っている。この点で、この事例の態様は上の6 類型の
(2)(3)(6)にも該当し、大学において教授などがその権力を濫用したカルト対策、とくに研究室での心境を理由とした配属変更などの差別や、特定の学生を呼び出し、信仰告白させ、ひいては棄教させる弾圧行為に類似しているとみることができる。

ⅱ誠昇会北本共済病院事件(さいたま地判 H16.9.24)

病院Yで勤務するAが、職場の先輩であるY1らのいじめ(Y1の家の掃除、車の洗車、風俗店へ行く際の送迎、「死ねよ」、「殺す」等の発言等)が原因で自殺したとして、両親であるXらが、Yに対し、雇用契約上の安全配慮義務違反による債務不履行責任(民法415 条)を理由に、Y1に対し、いじめ行為による不法行為責任(民法709 条)を理由に損害賠償を求めた。結果、Y:Xらに対し慰謝料各250 万円(Y1との連帯債務)、Y1:Xらに対し慰謝料各500 万円(各250 万円の限度でYとの連帯債務)《判旨の概要》Y1は、自ら又は他の男性看護師を通じて、Aに対し、冷やかし・からかい、嘲笑・悪口、他人の前で恥辱・屈辱を与える、たたくなどの暴力等の違法な本件いじめを行ったものと認められるから、民法709 条に基づき、本件いじめによってA が被った損害を賠償する不法行為責任がある。Yは、Aに対し、雇用契約に基づき、信義則上、労務を提供する課程において、Aの生命及び身体を危険から保護するように安全配慮義務を尽くす債務を負担していたと解される。Y1らのAに対するいじめは3年近くに及んでいるなど、Yは本件いじめを認識することが可能であったにもかかわらず、これを認識していじめを防止する措置を採らなかった安全配慮義務の債務不履行があったと認めることができる。

労務契約上の「安全配慮義務」を怠ったことが債務不履行責任を問う根拠になっている点に注目したい。これも大学において教授らに外部機関と意思を連絡して学生を拉致監禁するなどの暴挙をとることのないよう呼びかけ事前に阻止する在学契約上の安全配慮義務の懈怠を大学側に問う根拠になりうる。同時に「業務の遂行上」教授が侵した不法行為については使用者責任を大学に問いうる。

(厚生労働省労働基準局労働条件政策課賃金時間室において作成iii)

ⅲ奈良県立医科大学事件(最一小H14.10.10)

奈良県立医科大学医学部の助手が、同教授から、教室主任たる地位や権限を濫用、越権した嫌がらせ(アカハラ)を受け、人格的利益を侵害されたとして、教授と県に損害賠償を求めるとともに、県に対してはさらに、雇用者として働きやすい職場環境を提供すべき雇用契約上の義務があるにもかかわらず、これを尽くさなかったとして損害賠償を求めた事案である。《結果》第一審(大阪地裁)では、助手の主張のうち、廃液容器を助手の部屋の前に移動させた行為、研究室内の助手の私物を了承なく移動させた行為、研究費の不当配分、専門外の他大学教員公募への応募を迫り大学から追いだそうとした行為、非常勤講師の兼業許可の書類に押印しなかった行為について違法と認定し(ただし、廃液容器を移動させた行為については時効によって消滅するとした)、県に対して55 万円の賠償を命じた。これに対して原審(大阪高裁)では、上記の行為のうち、非常勤講師の兼業を妨害した点のみを違法と認定して、県に対して11 万円の賠償を命じ、これが最高裁でも維持された。

典型的なアカハラの事案である。行政寄りの判決だという印象が否めないが、仮に、「信教の自由」が被侵害利益としても十分に成り立つと考えられる。

判例から、次のいくつかのポイントに集約される。

被害者保護の法律構成として次のものが挙げられる。

1不法行為責任(民法709 条)

・一般不法行為責任

従業員・教授本人に不法行為責任を問いうる場合である。

・特別の不法行為責任

A 使用者責任(同715 条)

企業においては使用者である代表取締役などに対して、大学においては使用者である大学自体に対して、被用者たる従業員・教授がハラスメントを行なうことのないよう監視・監督する義務を怠ったとして、民法715条の使用者責任を問うことができる。なお、アカハラを行なった者に対しては、当該教育機関が定める就業規則等に基づき、懲戒処分が下されることがある。

ただ、まだ独立行政法人化していない公立学校の場合、教員は公務員となるから、公権力の公使としてアカハラが行われた場合には、地方公共団体のみが責任を負うことになる。

(国家賠償法1条1項)

これらの責任に基づき被害者は損害賠償を請求することができる。

2債務不履行責任

・労務契約上の債務不履行責任

・在学契約上の債務不履行責任

 簡潔に言うと大学と学生は、大学に授業料を納入する代わりに学生はだ大学において教育
を教授する権利をもつようになる。

 加えて、刑事訴訟上の名誉棄損や強要罪での可能な場合もないわけではないが、実現可能
性の低さからあえてここでは捨象する。

これらをカルト対策の具体的事案にあてはめてみる。

2.大学当局が実際に実施しているカルト対策の類型とその具体的事例

大学当局による一連のカルト対策は、その態様によって以下の3類型に大まかに分類されると考えられる。

a.大学キャンパス内における、学生の信奉する宗教を理由として教員等が単位不認定や退学処分などをほのめかして学生を威圧するアカデミックハラスメント型b,大学当局と外部機関(反対派牧師・全国被害者の会他)との連携による、学生の強制的棄教を指向するパワ―ハラスメント型c.学生(とくに新入生)対象に行われるカルト対策の周知徹底のための説明会実施および掲示物・配布物

※なお類型2についてはパワーハラスメントとみなせるか問題となるも、大学当局が外部機関と連携するにあたり、主導的立場をとって棄教行為の契機をつくる事例がほとんどであり、大学当局による組織的かつ対個人的ハラスメントとして、ここでは認定したい。
また、パワーハラスメントという概念の中にセクシュアルハラスメントなどの概念が含まれることもままあるvから、ここではその厳密な区別は留保して論じたい。もっとも、教授が大学における教育の提供側に属しており、その立場を利用してカルト対策説明会やビラ等の掲示・配布を行っている点で、見方によってはパワハラに当たると考えたい。

以下では、事例viを簡単に検討したい。

[a に関する事例]

・甲は「今のままCARP に所属するんだったら、君とは一緒にやっていけない」と担当教授から研究室の変更を求められた。
・乙は「CARP 代表だったことを内申書に書くぞ」と教授に脅される。

《評価と法律構成》

これは教授が、大学という機関の構造上、学生に対して圧倒的に優位にある立場を利用して、信奉する宗教を理由に学生の学問の自由を侵しているといえ、明らかにパワハラ・アカハラの事例に該当する。自己の信じる宗教によって、専攻できる学問対象が狭められるのは、不合理にすぎる。また、乙君が受けた被害は在学中にとどまるものではなく、卒業後、就職など社会生活を営む上で大きな支障をきたしかねない。後述の「部分社会の法理」との関係でも、十分司法審査の対象になると考えられる。

教授個人の判断により、学生の信教の自由を脅かすような発言がなされたのであれば教授個人の不法行為責任の追及が可能である(精神的苦痛に基づく損害賠償請求も可能と考えられる)。

役員会など教授の上位の大学機関からの命令にもとづく発言のケースでは、教授が一般不法行為の要件を備え、使用者が自己の無過失を立証できなかった場合、大学側にも使用者責任を問える。

[b に関する事例]

・丙は、大学キャンパス内で伝道活動をしていたが、ある日の放課後、教室から出てきたところを、大学教授と親族の連携の下、無理やりに拉致監禁され、監禁状態で反対派の牧師にCARP 脱退の説得を受け、内心的ストレスで鬱の初期症状を見せるまでにいたった。結局、丙はCARP をやむなく脱退することになった。

《評価と法律構成》

一目見ただけでも刑事事件と認定されかねない物理的にも精神的にも強度の侵害を加える犯罪行為である。牧師の説得も監禁下で行われるものであり、学生に対する強制的棄教にほかならない。丙の伝道活動も相手の権利利益を侵害するものでなかったのであれば、大学当局の行為はさらに根拠を欠くものとなる。丙に対する不当な信教の自由の侵害に当たる。

具体的には、当該拉致・監禁を斡旋した大学職員に対し、一般不法行為責任を問いうる。また、学生が安心したキャンパスライフをおくれるように一部の教授らによるに学生の拉致監禁その他外部機関との連携を禁止するといったガイダンスなどの説明会その他の方法による事前防止を行わなかった場合、教員らに対する監督・指導義務を怠ったといえ、安全配慮義務違反の責に問いうる。

また、大学当局と学生保護者と反対派牧師に対して共同不法行為責任が問えないか問題となるも、不法行為以前の共謀の段階までさかのぼって共謀共同正犯として検討し、むしろ刑事事件としてとらえたほうが適当なのではないか(本稿では検討しない)。民事上は精神的・肉体的苦痛に基づく損害賠償請求が可能と考えられる。

[c に関する事例]

・入学式ではパンフレットの束に統一教会を名指しで批判するビラが挟まれており、統一教会の信者である学生たちはそれをみて心的ダメージを受けた。
・大阪大学ではすべての新入生対象に「生活環境論」と銘打って事実上のカルト対策講義が行われ、講義についての感想文(実際は自己の思想の表明・特定の宗教系サークルに入会している者を特定するための密告機能を兼ねる)の提出を義務付けられる。
・ビラが掲示板に掲示されている。

《評価と法律構成》

生活環境論に関しては、これも大学教員側の学生に対する圧倒的地位をたてに学生側に不当な思想告白の要求であり、他者のプライバシー権も侵しかねない。「ビラの配布掲示とあわせて、人間関係からの切り離し」にあたる。

大学側の上部機関の意思決定に基づいて講義が行われている可能性を考えると大学側の使用者責任を認定しうる。これは通常であれば単なる事物内容の説明程度にすぎないのであるが、内容が特定の宗教的少数派を批判・否定するものであるところ、学生全体を対象としながらも、同時に、特定の宗教を信奉する少数派の学生への精神的攻撃、つまり厚生労働省が画定するところの第6類型「個の侵害」に当たる可能性があること、それに加えて、被侵害利益が信教の自由という憲法上もっとも厚く保護されるべき精神的自由であるため、たとえ侵害態様が暴言や過激な言葉遣いによらない穏当なものであったとしても、その被侵害利益の強度に鑑みて、不法行為を構成しうる。

ビラの配布・掲示に関しても特定の社員に関わらないようにと他の社員に呼び掛けたことを違法とした判例があることを考えると、特定の宗教系のサークル、学生には近づかないとの旨の記述内容は、すなわち交友関係の断絶も意味しうるのであり、これは大学という一共同体のなかでの第3 類型「人間関係からの切り離し」に該当する恐れがあり、信教の自由という被侵害利益に鑑みても、不法行為を形成する場合があると思われる。

以上、大学当局のカルト対策の諸類型および被害者救済のための法律構成を見てきたが、大学の教授・職員がその立場を濫用している事実や、実に多角的に民事責任ないし限定的に刑事責任を問えることが分かる。そして、やはり違法性を認定するうえでもっとも大きな位地を占める成立要件は、被侵害権利・利益である信教の自由であろう。

3.さらなる違法性の根拠

大学は、上記のような権力濫用のために学問研究・教育主体としての地位を与えられているのではない。それはどこまでも人材および研究成果の社会への還元のためである。

そこで以下では、まず、被侵害権利である信教の自由がどれほど重要で尊重されるべき権利であるかについて簡単に触れたあと、学問研究・教育提供主体としての大学の理想形にさかのぼって根拠を挙げることで、カルト対策の違法性をより鮮明なものとしていきたい。

①信教の自由の意義

櫻井義秀vii氏の指摘によれば、オウム真理教の一連の事件を見て明らかなように「信教の自由の美名のもとで、不問に付されてきた宗教のリスク」が存在するという。たしかに、干渉しがたいゆえに、カルト的団体の脅威が社会的に顕在化するまで察知できなかった事実がある。それでもなお、守られなければならない宗教による自己実現、幸福追求がある。内心的信教の自由の保障は絶対的である。ただし、これが外部へ向かう行為に転化されるならこの限りではない。信教の自由は精神的自由権に属し、憲法が人権カタログの中でも最も価値を置くところの「個人の尊厳」の中核をなすものである。これは個人の人格的生存、すなわち個々の人間が自身の思想・良心・信条をもって有意義に、そして時の権力からの不当な圧力を受けることなく、静安で平穏な社会生活を営むことを保障したものであり、過去の法的根拠を欠くあるいは権力濫用にもとづく人権侵害への反省からくる歴史的要請でもある。信教の自由は、思想良心の自由のいわば宗教的方面を担うものである。かかる権利が保障されるにいたった経緯は、日本の場合、信教の自由を包摂する概念として思想良心の自由が存在するというよりも、むしろ思想良心の自由の下位概念としての信教の自由の一環として思想良心の自由が規定された側面が大きいという点において、諸外国とはその性格を異にする。この歴史的沿革の特異性を考慮するならば、信教の自由はさらに重視されなければならず、その保障については、反対利益との慎重な利益衡量がなされなければならないと考える。そこにおいては、日本国憲法が宗教的マイノリティをとくに保護するものであることを忘れてはならない。また、宗教それ自体の役割は、個人の精神に平安や充足感をもたらすにとどまらず、個々人の人生に明確な「生」の意義をあたえてくれ、そうして形成される利他的価値観にもとづく個人の公益性ある発想、対社会的貢献を指向するという外在的・合目的的利益をも、もたらすというものである。これは国立大学法人がめざすところの「社会貢献」の精神および「各国立大学は地域に密着した教育研究を展開しており、地域への貢献度は非常に高いviii」という実態に合致する。

このように歴史が希求し、あえて憲法が個別に定めた信教の自由であることにかんがみれば、これが知識人の集合体として社会的規範を示す役割も期待される大学で上記のように公然と侵されている事実は受け入れがたく、弁護士滝本太郎氏が国立大学におけるカルト対策正当化の根拠として「カルト性」という新概念を持ち出していることの不可解さも理解される。

②大学という教育機関としての特質・使命

ここではとくに国立大学の本来あるべき姿を提示し、大学が実施するご都合主義のカルト対策がどれだけ大学の理想形から乖離しているか、その矛盾を示せればと思う。

・大学と国家の相互依存関係・先進的学問研究組織としての役割

大学はその運営資金・研究費の支出を国家機関に依る一方で、国家も将来の日本を支えるに堪える人材の養成・輩出を大学に依存している。文部科学省が平成22 年1 月より開始した「国立大学法人の在り方に係る検証」では、「国全体が発展していく中で、国立大学は研究について基盤的な部分を担っており、重要な機能として捉えないといけないix」との意見も提出されており、これが国立大学法人に期待される姿であることが分かる。また、国立大学法人法通則7条では国立大学法人の国家と連結した資本の扱い方が示され、附則(平成十五年十月一日施行)13 条では国有財産の無償使用、同14 条では国の無利子貸し付け等を規定している。大学が法人化し、法人として独自の経営能力を問われることになった現在であっても、国が国立大学に無利子の貸し付けや国有財産の無償使用を法に定めていることからみても、国家と大学の相互依存は否めないところである。したがって、とくに国立大学には、法人として一定の独自性を維持し、発展させつつも、国家としての国民の意思を教育に反映させ、社会的に貢献する人材を「大切に」養成する責務があると考えるのが法の趣旨、国家意思に適う。

・教育提供主体としての使命

また、大学では公共の福祉の制約のなかで当然に学問の自由・教育を受ける権利(学習権x)が保障され、大学はこの学問の自由を国家から保護し、法人化した大学自身も学習権を侵してはならないことは言うまでもない。大学には、学生の信教の有無ないし差異に関わらず、等しく学習権を保護する義務があるのである。「信教の差異」は、人格形成に不可欠な教育を受ける機会をパワハラ等によって制限する根拠とはなりえない。大学当局はこのことを理解するべきである。

③部分社会の法理の援用

・大学における学問の自由の論理的帰結としての「大学の自治」

学問の自由が保障されたのは、そもそも、それが学術研究を推進することによって真理探究し、人間の文化・生活をより豊かに安楽たらしめるために意義あるものでありながら、その批判的・先進的性格ゆえに、時の国家権力からの干渉を受けやすく、現に迫害を受けてきたことなどから(例として滝川事件、天皇機関説事件xi)、これを特に保護する趣旨からでたものと解される。そして「大学の自治」は、これに関して明文規定はないが、学問の自由の保障のなかにコロラリーとして含まれ、学問の自由の保障をより確かなものとすべく制度的保障xiiの形で認められると考えるのが通説である。

・「大学の自治」の限界

部分社会の法理xiiiから、ここにおいて、「一般市民の法秩序と直接関連しない純然たる内部紛争でない」限りは、司法は大学という部分社会、教育の要塞としての「大学の自治」に立ち入るべきではない、という司法権の限界の問題がある。その中で行われる単位認定などの規則細則の画定や教員の人事、施設・設備管理は大学当局に大幅な裁量が認められている。この法理によれば、大学は一共同体として「一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成している」とされ、単位不認可処分が問題となった富山大学事件判決で、公立・私立に関係なく大学の「単位授与行為は、それが一般市民法秩序と直接関係を有する特段の事情のない限り純然たる大学内部の問題として司法審査の対象にはならない」と判示したxiv。これは同時に外部からの不当な干渉を許さない自律性を維持するべく「大学の自治」がどこまで保障されるのかへの問題提起でもある。これを大学の学則、規則、規程、大学憲章の法的根拠を認める論理として利用できると考えられないか。すなわち、一般社会の市民法秩序に直接触れない限度で大学の自治が認められ、一般的社会とは一線を画す部分社会という空間において、その構成員たる学生に対して学則・規則の遵守を要求するその反対義務として、大学側にも大学憲章、大学規則・規程の遵守が法的義務として構成できないか。(判例から単位認定は市民法秩序に触れないが、卒業不可、つまり退学処分となってしまった場合、いまだ偏重社会である我が国では、その社会的地位・社会的発言権を著しく低下せしめる可能性が否定できない。)ここでは、わが大阪大学憲章の前文および第9 条を挙げたい。

 大阪大学は、(中略)かねて大阪の地に根づいていた懐徳堂・適塾以来の市民精神を受け継ぎつつ、「地域に生き世界に伸びる」ことをモットーとして、(中略)歴史の大きな転換点をむかえつつあるいま、大阪大学が国立大学法人として新たな出発をするこの機に臨み、将来の豊かな発展を期して、あらためて自らの基本理念を以下のとおり宣言し、大阪大学の全構成員の指針とする。

9.人権の擁護

 大阪大学は、その活動のあらゆる側面において、人種、民族、宗教、信条、貧富、社会的身分、性別、障害の有無などに関するすべての差別を排し、基本的人権を擁護する。

 この内容は日本国憲法(特に11 条・13 条・14 条)の価値を大学の内部にも及ぼそうとしたものと考えられる。先に述べたカルト対策の侵害態様を見るとき、大学当局はこれを侵していると言え、違法性を認めざるをえない。この侵害は大阪大学規程中の「大阪大学人権問題委員会規程」に定められた同規程2条3号「その他委員会が必要と認めた人権問題に関すること」に含まれないのだろうか。はなはだ疑問である。9 条のごとく、「・・宗教・信教・・・による差別なく」、信教の自由が保障されて安心して過ごせるキャンパスライフ・教育の機会提供の義務を遵守するべきではないか。大学の自治圏内にあってもなお、カルト対策に対する法の支配は及ぼされるべきである。

④学問に資する信教の自由

信教の自由は個人の尊厳、人格形成に必要不可欠である。また、教育においても、目に見えないものを思考ないし信じる力、すなわち宗教性を育むことが情緒豊かな人間性を醸成し、その人格が人類のための学問を追求し、学問自体の発展をも支えるとも考えうるから、その学問を発展させうる宗教を信じるという、その自由は、学問研究に資するといえる。実際、アメリカ、ミシガン大学で行われた研究“Religion in Schools: A look at how religious practices influence education”xvによれば、”religion is beneficial in education was done by William Jeynes in 2003. This study evaluated the effects of students’ religious
commitment on their academic achievement“、”Guttmann (1984) found that children who attended religious schools had higher levels of moral reasoning and more resistance to cheat on a paper-and-pencil test than children who attended secular schools.“などとあり、宗教性をもつことが確実に教育に「良い」影響をもたらしていることが分かる。この宗教性を担保する信教の自由の保障を徹底すれば学問水準の向上も図ることができると考える。

ここに、相対性理論を見出したアルバート・アインシュタインの象徴的な言辞がある。

~宗教なき科学は不倶であり、科学なき宗教は盲目である~ A.アインシュタイン

カルト対策によって信教の自由を無碍に否定することは、大学における学問領域の幅を狭め、宗教性による学問発展の側面を阻害してしまうことにつながりかねないともいえるし、学問発展という大学の基本姿勢にそぐわない。

①~④のように見てくると大学当局によるカルト対策は、学問に臨む学生の未来への飛躍を阻害し、同時に、国立大学自体のアイデンティティをも没却するものであることが明白である。

上記の事案に関連し、大学当局のカルト対策の正当化根拠として代表的なものに、信教の自由には宗教選択における「自己決定権」が含まれ、それを保障することによって信教の自由を保障することに貢献しているから、カルト対策は不当ではないxviというものがある。

自己決定権は、龍谷大学教授の平野武氏によれば、プライバシー権の延長線上にあるxviiと考えられ、「他から干渉されない」というプライバシー権の延長線上にあるとされる。人権カタログには直接明文規定のない人権として13 条の幸福追求権を根拠に認められると解されており、「エホバの証人」輸血拒否訴訟判決などにも見られるように、医療における自己決定権などで近年さらに取り沙汰されるようになった権利である。この判決などを見ても明らかなように、最高裁をはじめ日本の司法権は、この自己決定権を擁護する見解に立つ傾向にある。しかし、宗教選択における自己決定権は本来的には信教の自由とは別個に観念すべきものであり、大学当局の主張は論理的に疑問が残る。確かに平野氏は自己決定権は宗教関連でも認められるべきxviiiとしている。しかし、自己決定権の自由権的・社会権的側面が拡張されやすいことを考えると自己決定権を安直に信教の自由という概念に含めてしまうことについては、慎重になるべきである。

以下では、宗教選択における自己決定権を認めた一例として注目すべき判例を見ていく。

4「青春を返せ」訴訟 橋詰判決(札幌地裁2012.3.29)にみる反対派の新興宗教批判の根拠に対する反駁

これは統一教会を被告とする元信者らによる集団訴訟で、霊感商法等による多額の損失を理由に損害賠償請求したものであり、教団側が敗訴した。新興宗教の伝道活動および教化活動の違法性認定の基準を定立し、統一教会だけでなく「特異」な伝道・強化活動を行う他の新興宗教の活動も違法と認定できるようになった点で、教団の反対派にとっては画期的な判決とされている。その基準を掲げるうえで、「宗教の伝道・教化活動は、自由な意思決定を歪めないで、信仰を受け入れるという選択、あるいは信仰を持ち続けるという選択をさせるものでなければならないのである。」とし、「宗教選択における自己決定権」を事実上認めている点が特に注目に値する。本判決は未だ地裁レベルにとどまるものの、大学当局の「宗教選択における自己決定権の擁護」によるカルト対策正当化の主張を勢い付けるものとして利用されることが懸念される。

以下は本判決で提示された伝道活動強化活動の違法性を認定する基準の要約xixである。

①神の教えであること(教えの宗教性あるいは神秘性)を明らかにした上で相手方に信仰を得させようとするものでなければならないとすべきである。神秘と事実を混同させた状態で信仰を得させることは(統一教会においては原罪や霊界や因縁などという神秘に属することを事実として教え込むという実体が、判決では認定されている。)、神秘に帰依するという認識なしに信仰を得させ、自由な意思決定なしに隷属を招く恐れがあるため、不正な伝道方法であるといわなければならない。②入信後に特異な宗教的実践(統一教会については、心情解放展での「罪の精算」としての多額の献金、実践トレーニング直後の献身、公式7年路程と祝福、様々な経済活動等が、特異な宗教的実践として認定されている。)を求められる場合、その宗教の伝道活動においては、入信後の宗教的実践内容がどのようなものとなるのかを知らせるものでなければならないとすべきである。信仰を得させた後で始めて特異な宗教的実践を要求することは、結局、自由な意思決定に基づかない隷属を強いる恐れがあるため、不正な伝道活動であると言わなければならない。③人は信者以外の家族や友人・知人とのつながりにより常に情緒面での変化を遂げるから、一旦得た信仰であっても、これをいつまでも持ち続けるとは限らない。これはしかたのないことである。信仰の維持を強制するため、人の情緒面での変化をもたらす家族や友人・知人との接触を断ち切り、ゆがんだ形で情緒を形成させ、信仰を維持させることは、不正な教化活動であると言わなければならない(判決では、一神教の信仰を得るという決定は、論理によるのではなく、情緒を大きく動かされたことによる決定であると判断されている。)。④宗教教義の実践をさせるという教化活動においては、不安や恐怖を煽ってどのような宗教教義の実践をさせても良いと考えることはできない。・・・金銭拠出の不足を信仰の怠りとし、そのことが救済の否定に繋がるとの教化活動は、その程度が行き過ぎと見られる場合は、やはり不正なものと言わざるを得ない。

まず、全体を見渡して、宗教という個人の内心的・主観的要素が大部分を占める精神活動領域に、司法が無慈悲に踏み込みすぎているという印象を拭いきれない。これは「教義の内容には立ち入らず、客観的な立場をとる」という裁判所の審査の基本範囲を逸脱するものではないか。

基準定立のうえで自己決定権が前提となっているが、自己決定権は13 条の幸福追求権を根拠とする以上、個人の人格的生存に不可欠である一方で、裁判所の主観的な価値判断によって人権保障の意義を希薄化させないためにも、事案に応じて個別具体的に、そして慎重に認定されなければならない人権である。したがって、宗教選択における自己決定権も常に認められるわけではなく、あくまでも事案に特化した考察が必要なのはいうまでもない。次に、各基準に考察を加える。

①ついて

統一教会ホームページでもすでに伝道活動において事前に団体名及び活動内容が明示されることが公式に発表された以上、これに従わない伝道活動を理由として訴訟されても自己責任というべきである。

②について

これも自己決定権の表れとしての基準と解されるが、「特異」とは何をもってそう認定するのであろうか。では、「特異」でない宗教的実践とは何かと問いたい。禅宗における「只管打坐」、密教における「加持祈祷」は特異ではないのだろうか。もしこれらが客観的に見て特異とみなされないならば、(特異とみなされても違法性を阻却して矛盾をかわすなら)それは逆に、特異と認定するのが社会通念上相当と思われる大規模な経済活動を行うことによってその活動領域を拡大してきた統一教会、あるいはオウム真理教など他の新興宗教を狙い撃ちした基準定立であることの表明に他ならないのではないか。(たしかに、統一教会の布教方法はその構造・システムをみても特異とするのが当然と思われるからである。)信教の自由の意義のところでも触れたが、宗教は、個人が各々の人生の意味を求め、その場においては自己の意思にもとづいて入信するのが通常であり、宗教それ自体に各宗教における特色という意味での「特異」性が内包されているとみるべきではないか。そもそもある種の「特異」性を有するのが宗教である。入信後に当初予測したことと異なる宗教的実践が行われるのは当然に否定できないというべきである。もっとも、事前に入信者が説明を求めたにもかかわらず、説明責任を果たさなかったり、虚偽の説明をなした場合にはその限りでないと考える。

③について

一神教に入信する場合の動機形成というものには、個人差が当然に存在するはずであって、教義の論理面に惹かれて入信する場合もあろうし、教義ないし教団の雰囲気にいわゆる「神秘」的な感動を覚えて入信するケースも考えられ、入信態様はさまざまである。本判決の認定にしたがえば個人差があって当然の入信態様によって結論が変わってくることになりかねず、入信態様の間の均衡を失するというべきである。たしかに、一般的に入信行為自体が一種の精神作用を帯びるものであり、実際に③で挙げられる人間関係の断絶により信仰を強制的に継続させる事実の存在も否定できないが、その入信者が専ら教義の論理性などの内容面に興味を得て入信した可能性がないことを、どう立証するのか、入信態様を一律に基準として画定してよいものか、はなはだ疑問である。違法性を確定する前提として何をもって入信と認定するのかを決したのであろうが、やはりこれはあまりにも高度に主観面に関わる問題ゆえ、司法はそこまで立ち入るのは不可能と考えたい。

④について

献金が社会通念上相当でない金額であったとしても、それが直ちに教団側の違法性の根拠とはなりえない。その献金行為の動機形成に瑕疵がなく、意思表示に瑕疵がなかったならば、事後に献金を求める献金者側に一定の帰責性を認める余地もないわけではないからである。ただ、この考え方によると「教義の内容には触れず、社会的に相当であるかどうかは客観的に判断する」という判例の大勢の立場からは離れることにはなる。

以上のように見てくると、諸基準の端々に札幌地裁(ないしその背後の国家)がいかに早計な価値判断に基づき、「新興宗教は悪しきもの」というバイアスのもと、特定の宗教団体を滅却しようと躍起になっているかが垣間見える。

憲法の精神は何であったか。時の権力者からの少数派の保護ではなかったか。

大学当局が上記のような恣意的かつ曖昧な法的判断を精神的・理論的支柱としてカルト対策・パワハラ・アカハラ的行為を正当化することは、道徳的・倫理的に見て許されないばかりでなく、大学自ら、善良な学問の府としての品格を貶め、国家的人材養成の権威を失墜させることになるのは必至である。大学当局は本当に正しいことをしている自負があるのなら、堂々とメディアを通して、拉致監禁による「強制的棄教」、「特定の宗教信仰を理由とする」学生への差別的扱いの実態を大衆の前に晒すべきであろう。統一教会側としては現に存在する不当な伝道とされる基準を逸脱せぬよう不断の注意を払うべきであることは間違いない。いずれにせよ、特定の新興宗教に対する「反社会的カルト」という悪なるレッテルを取り去り、その活動の実態を知り、短絡的に「カルト」の枠にはめてしまうことのなきよう、大学における権力者は、自己の凝り固まった価値観から脱却し、宗教的少数派への理解を深める必要性を感じるべきであろう。結局はそれが、より理想的な国立大学の運営につながるのである。

脚注
i 「NPO 法人アカデミックハラスメントをなくす会」HP 参照 http://www.naah.jp
ii 厚生労働省「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ(WG)」
URL:http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000021i2v.html
iii 厚生労働省労働基準局労働条件政策課賃金時間室において作成
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001qtzp-att/2r 852000001qu2e.pdf
iv 京都法律第一事務所URL:http://www.daiichi.gr.jp/publication/scientist/06.html
御器谷法律事務所URL:http://www.mikiya.gr.jp/Academic_harassment.html
v「パワーハラスメント」岡田康子・稲尾和泉 日本経済新聞出版社 2011 年 p42
vi この事例は「大学の宗教迫害」室生忠 2012 年に記されている事案を参考に独自に作成。
vii 北海道大学大学院文学研究科教授。文学博士。タイ地域研究、宗教社会学専攻。この文
の括弧内は、彼の著書「『カルト』を問い直す」中公新書ラクレ 2006 年p45 から引用し
た。
viii 国立大学法人化後の現状と課題について(中間まとめ)その1 p11
URL:
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/__icsFiles/afieldfile/2010/07/21/12
95896_2.pdf
ix 同上 p61
x 学習権は憲法26 条で保障される「教育を受ける権利」に含まれ、その中心的権利となっている。人間の人格成長に不可欠とされる。自由権的側面と社会権的側面を併せ持つ。
xi ・滝川事件 芦部信喜 2011 年 岩波書店 p164 っている。人間の人格成長に不可欠とされる。自由権的側面と社会権的側面を併せ持つ。
京大の滝川幸辰教授の刑法学説があまりにも自由主義的であるという理由で休職を命じられ、それに教授団が職を辞して抗議し抵抗した事件。
・天皇機関説事件
天皇を国家の最高機関と位置付けた説の代表者である美濃部達吉の著書を発売禁止処分の付し、すべての公職から追放した事件。
いずれも学問の自由が国家から侵害されたゆえにこれを憲法でとくに定めたことの理由の説明に用いられる
xii 制度的保養は、制度それ自体を保障することによって人権保障を強化すること。制度的保障の根拠は制度の核心が明確であり、制度と人権との関係が密接であることに求められる。ここでは「大学の自治」を制度として保障することで、内部の人権保障を図ると考える。なお、ここでの制度の核心は人事の自治、学生・施設の管理の自治であるとされる。「東大ポポロ事件」で認められた。
xiii 特別権力関係理論に代わり、昭和52 年3 月15 日最高裁の富山大学事件判決以来、用い
られるようになった。
本事件では、国立大学における「単位授与行為認には(中略)司法審査が及ばない」と判示した。
xiv 「憲法」第五版 芦部信喜 2011 年 岩波書店 p336 参照
xv 「Religion in Schools: A look at how religious practices influence education」
アメリカの公立学校と宗教色のある私立学校とを比較する研究を基にしながら、教育における宗教の影響を効果的に論じている。
URL:http://sitemaker.umich.edu/356.weitz/public_schools_vs._religious_schools
xvi 全国カルト対策ネットワーク HP 参照
URL:http://religion.sakura.ne.jp/religion/univ_cult_ml/index.html
xvii「宗教と法と裁判」平野武 1996 年 晃洋書房 p174~179
xviii 同上
xix 判決の基準の要約(弁護士 郷路征記氏によるもの)URL:
http://www.glo.gr.jp/saiban7.html
この判決の根拠は違法性論・責任論・損害賠償論の3 つに区分される。
※この判決に関しては、「やや日刊・カルト新聞」における郷路征記弁護士へのインタビューも参考にした。
http://dailycult.blogspot.jp/2012/04/2.html

 


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