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日本での大学の始まり―森有礼【大学を創った人々】

日本での大学の始まり―森有礼【大学を創った人々】


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第四回 森有礼(1847-1889)

人が結婚すれば、権利、義務が2人の間に生じて、両者平等である。2人の間の権利と義務とは、お互いに助け合い、保護し合う道をいう。すなわち夫は、扶助を妻に要求する権利を持つと同時に、妻を保護する義務がある。また妻は、保護を夫に要求する権利があり、また夫を扶助する義務がある。この理によらないで結婚するものは人間の結婚とはいえない。

森 有礼
(Arinori Mori)

日本での大学制度

ドイツでフンボルト型大学(教育中心の大学に研究志向の仕組みを導入)が全盛を極めていた19世紀後半、近代化に邁進する日本では、高等教育機関としての大学制度の設計図が描かれていました。この設計図を作成したのは伊藤博文と森有礼。当時、伊藤は初代総理大臣で、森は初代文部大臣でした。

「文学理学ノ最旺盛ナルハ、独逸国二若ク者無」

東京大学法理文学部総理 加藤弘之から文部卿 福岡孝弟への届出(1881)より

こう言われていたように、政治や行政のみならず学術面でもドイツ・モデルへの傾斜が強まりつつあった中、森は伊藤と会い、学校教育システムの構築を託されたのでした。

▲ フンボルト大学(現・ベルリン大学)

重要視されたインフラ整備

さて、日本で最も早く誕生したのは東京大学(1877年)ですが、当時の日本では西洋の先端的な知を翻訳・移植し、近代化を図っていました。

そこで重要視されたのは東京大学や、慶應義塾のような私学ではなく、官立の専門学校でした。なぜなら、近代国家建設のために急務だったのが、鉄道や橋梁の建設、電信網の施設、測量などのインフラ整備だったからです。

一定水準の技能を持った技術者を確保するために官立の専門学校が建てられ、外国人教師を招聘するなどエリート教育が行われました。

技術養成から学問研究へ

帝国大学の始まり

こうした状況が一変したのは1886年、森がまとめた帝国大学令によります。これによって「帝国大学」を中核とする大学システムの骨格が示され、日本の高等教育の転機となりました。

森はイギリスとアメリカに約3年間留学した経験から、「一国を代表する大学が国家の威信を象徴する」と考え、東京大学を帝国大学へと育て上げることを目指したといいます。この理念は帝国大学令第1条に「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攷究スルヲ以テ目的トス」と規定されていることからも分かります。

大学が学問の場に

森は、小学校や中学校のような初等教育では、国家富強に資する人物を育てるという人物養成主義、人格陶冶主義を強調。一方、「帝国大学ハ学問ノ場所」と表現したように、大学を学問の場と位置付け、認識的合理主義、実用的実践主義を重視しました。

当時の欧米諸国の伝統的な大学では正統な学問分野と見なされていなかった工学教育を、正式に大学に取り入れたのも森でした。これも、近代化を目指す日本にとっては、国家の須要だったからです。

帝国大学の広がり

帝国大学の名付け親は、早くから「帝国」という言葉の愛好者だった森だとされています。1897年に第二の帝国大学として京都大学が誕生して以降、システムとしての帝国大学が展開されていくのでした。

(広報担当S)

 


 

第三回 フンボルト

学問による人格形成―フンボルト【大学を創った人々】

 

第五回 福澤諭吉

学ぶと学ばざるとによる差―福澤諭吉【大学を創った人々】

 


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