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「大学の死」から「学問の自由」へ―カント【大学を創った人々】

「大学の死」から「学問の自由」へ―カント【大学を創った人々】


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第一回 カント(1724-1804)

哲学は学べない。学べるのは哲学することだけである。

We cannot learn philosophy, but we can only learn to philosophize.

イマヌエル カント(Immanuel Kant)

カントと大学

カントはソクラテスやアリストテレスと並び、哲学界に大きな足跡を残した碩学の一人です。カントの思想は「批判哲学」と称され、認識論にコペルニクス的転回をもたらしました。ドイツ観念論の祖とされるカントの思想は、その後、フィヒテやシェリング、ヘーゲルへと続きます。

西洋哲学に強い影響をおよぼしたカントは、近代的大学の模範となったドイツのフンボルト大学(現・ベルリン大学)の思想的核心にも一つの方向を示しました。

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▲ フンボルト大学(現・ベルリン大学)

明治維新以降、初めて設置された日本の大学は、ドイツの大学制度を手本にしたと言われています。

国家のため?真理のため?

1795年晩秋、カントは『諸学部の争い』という風変わりなタイトルの本を出版しました。この本は、ミヒャエリス以来の本格的な大学論で、カントが自ら出版した最後の著書でもあります。

ミヒャエリスが「大学が国家にもたらす益」「大学の学問がもたらす益」という観点から大学を論じたのに対し、カントは「真理こそ何より重要なのであって、上級学部が政府のために約束する有用性は、二番目の契機にすぎない」と提起しました。その背景には、当時の大学事情が深くかかわっています。

「大学の死」から「学問の自由」へ

「第一の死」?―大学の腐敗

中世都市を舞台に広がり、急速にヨーロッパ全土に波及した大学は、18世紀末に「第一の死」を迎えます(詳しくは『大学とは何か』吉見俊哉、岩波新書)。

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当時の大学は、多くの貴族子弟を引き入れては宮廷の称号や礼儀作法、儀式などを教えることが中心的な役割となり、学問的な創造性が窒息してしまったと言われます。

また当時のドイツの大学に目を向けてみると、公講義と私講義とがあり、公講義は決まった内容を決まった方法で伝達するという自由の利かないものでした。カントが教鞭を執っていたケーニヒスベルク大学の公講義にも、しばしば政府が介入していたようです。

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学問の自由

カントが『諸学部の争い』で主張したことは、哲学部を中核とした大学づくりです。言い換えれば、大学を大学たらしめるのは哲学部だとカントは考えたのです(当時の哲学の概念は、自然科学をも含む広義のもの)。

伝統的に大学は神学部、法学部、医学部、哲学部の4学部を持つことが通例で、そのうち哲学部以外を上級学部、哲学部を下級学部と位置付けていました。

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カントは、上級学部は学問の内容が政府の意図と結びついているのに対し、哲学部は国家権力と何のかかわりもないとし、哲学部を「学問の自由」の場として主張したのです。

カントが説いた「学問の自由」は、近代的大学の先駆けとなったフンボルト大学の設置過程で、一定の制度化をみることになります。

 

知の殿堂としての大学が、このときから新たに生まれ変わったのです。

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第二回 Coming soon…(8月頃)

 


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